自分の受験だと認識すること

中学受験以降の受験と小学校受験の決定的な違いは、「学校が見ているもの、判断しようとしているものは子どもだけではない」というところ、です。

私は20年の経験から、小学校受験とは、家庭(親)と子どもは、6:4、のウエイトで見られているのではないか、と感じています。
学校によって、それが7:3であったり、5:5であったりすることもありますが、少なくとも「子どもだけを見ている」ということは絶対にありません。
要するに、「お受験」という言葉から勝手に持つイメージ、「知育に力を入れ、子どもの能力を高める」ということでは、小学校受験に決して対応できない、ということなのですね。

3,4歳児を持つご両親達とお話をすると、たいていの方が「うちの子は~~なタイプです」と話されます。確かに、元気な子、大人しい子、いつも笑顔の子、淡々としている子、癇癪を起こす子・・・などなど、いろいろな子どものタイプはあります。
しかし、実際にはまだまだ子ども達には「個性」と呼べるほど顕著な、決定的な違いは存在せず、個性のように見えている人柄は、親から受け継いだDNAと、その子が育てられた環境、育てられ方の違いがあっての「今」だと言えるでしょう。つまり、個性と呼ぶにはまだまだ中身が希薄、なんですね。

ということで。
どんな学校も「どの子も我が校に入学し、毎日この環境の中で過ごしていれば、子どもは皆『我が校色』に染まる」と確信されているでしょう。

しかし、親は「完成品」ですからねえ。たとえ未熟であっても、すでに「大人」になり、30数年?40数年?生きてきています。そして、その生きてきた証でもある「人柄や考え方、醸し出す雰囲気」は、そう簡単には変えられません。
あくまでも例えですが・・・小さなことにはあまりこだわらず、常に「まあ、いいんじゃな~い!」と明るく笑いとばすお母さんが、箸の上げ下ろしまで厳しくチェックするような(それを良しとする)学校に縁が生まれるとは思えません。もしそのママがそこの学校に憧れ、必死に猫をかぶり、何とか騙しとおせて?!合格を果たしたとしても・・・ママはずっと居心地は悪いでしょうし、我が子と一緒に「母親」として学校の空気を楽しむことも難しいでしょう。まわりはほとんど、猫をかぶらなくても、その学校の校風にフィットした人なのですから、居心地が悪くて当然ですね。

小学校受験は、子どもの受験ではなく、「家庭の受験」です。
「我が子に合った学校はどこなのか?」という思いで学校探しをするのではなく、まずは「親がホッとできる空間」「親がその学校の教育方針に共感でき、自分もそこで親として楽しめる空気」を探すことです。